廣橋仲子
廣橋仲子(ひろはし ちゅうし/なかこ、藤原仲子、紀仲子,1330年代-1427年6月14日),南北朝時代、室町時代女性。女院。后光严天皇的典侍,後圆融天皇的生母,廣橋兼綱的养女,生父是石清水八幡宮祠官善法寺通清。生母是四辻宮尊雅王之女(法名智仙聖通)。院号崇賢門院,姐妹紀良子(足利義詮側室,足利義満生母)、伊達政宗正室輪王寺殿。
生平
延元元年(1336年)一说延元4年(1339年)出生,初为后光严天皇典侍,正平十三年(1358年)生緒仁親王(后圆融天皇),正平十七年(1362年)生熙永親王(永助入道親王),正平十八年(1363年)生尧仁法亲王,建德二年(1371年)生尧性法親王。建德二年(1371年)緒仁親王即位。天授六年(1380年)正月,廣橋仲子准三宮。弘和2年(1382年),后圆融天皇让位给後小松天皇。弘和三年(1383年)四月廿五日,院号宣下,号崇賢門院。 应永三十四年(1427年)五月二十日,八十九岁或九十二岁时薨。
参考文献
- 近藤敏喬 編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年
- 服藤早苗『歴史のなかの皇女たち』小学館、2002年
- 『日本女性人名辞典』日本図書センター、1998年
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