從二位
解說
律令制度下的從二位,相當於內大臣或藏人別當,也有頒給大臣正室的。最有名的就是平清盛的正妻平時子,還因此被稱為「二位尼」。
以公卿來說從二位算是相當高的官階,而武士從鎌倉時代的北條政子開始到室町時代為止,只有作為將軍正妻的御台所能得到從二位,即使是將軍的其他親族也沒辦法。足利幕府中地位極高的鎌倉公方一職也只是從三位,室町幕府中管領一職最高位者也只有正三位。
進入戰國時代後,因為室町幕府的統治崩壞,有力的大名間盛行起對朝廷現金買官的行為,大內義隆也藉此獲得從二位的官位,而豐臣秀吉自從成為關白以後便開始封親戚與家臣為從二位,也開始出現正二位以上的武士。到了江戶時代時御三家、御三卿中也有升任從二位權大納言的例子。
獲得從二位者
維新時期
- 日野資朝 1884年(明治17年)2月22日 (從三位)
- 今出川公言 1891年(明治24年)12月17日 (正三位)
- 高倉永秀 1891年(明治24年)12月17日
- 町尻說久 1891年(明治24年)12月17日
- 前田慶寧 1893年(明治26年)7月14日 (從三位)
- 楠木正行 1897年(明治30年)4月6日
- 戶田忠至 1897年(明治30年)4月21日 (從三位)
- 立入宗繼 1898年(明治31年)4月9日
- 大谷光澤 1902年(明治35年)4月18日 (無位)
- 大村純熙 1903年(明治36年)10月9日 (從五位下)
- 紀貫之 1904年(明治37年)4月18日 (從五位上)
- 上杉謙信 1908年(明治41年)9月9日 (從四位下)
- 戶澤正實 1908年(明治41年)9月9日 (從四位下)
- 前田綱紀 1909年(明治42年)9月11日 (從三位)
- 前田利常 1909年(明治42年)9月11日 (從三位)
- 池田輝政 1910年(明治43年)11月16日 (正四位下)
- 伊達政宗 1918年(大正7年)11月18日 (從三位)
- 千種忠顯 1919年(大正8年)11月15日 (從三位)
- 大村永敏 1919年(大正8年)11月27日
- 島津忠久 1927年(昭和2年)6月15日
- 山梨東平 1927年(昭和2年)6月15日
- 德川綱條 1928年(昭和3年)11月10日 (正三位)
- 藤原宗行 1928年(昭和3年)11月10日
- 藤原行房 1928年(昭和3年)11月10日 (正四位下)
- 河野養哲 1931年(昭和6年)12月21日
- 平成輔 1931年(昭和6年)12月21日 (正三位)
戰後時期
多為去世後追贈。
- 武井守成(宮內廳式部官長) 1949年(昭和24年)12月14日 (從三位)
- 三浦謹之助(東京帝國大學教授) 1950年(昭和25年)10月11日 (正三位)
- 長岡半太郎(貴族院議員、日本學士院長、大阪大學校長) 1950年(昭和25年)12月11日 (正三位)
- 穗積重遠(最高法院法官) 1951年(昭和26年)7月29日 (正三位)
- 田中館愛橘(貴族院議員、東京帝國大學教授) 1952年(昭和27年)5月21日 (正三位)
- 幣原坦(台北帝國大學校長) 1953年(昭和28年)6月29日 (正三位)
- 前田米藏(運輸通信大臣) 1954年(昭和29年)3月18日 (正三位)
- 羽田亨(貴族院議員、京都帝國大學校長) 1955年(昭和30年)4月13日 (正三位)
- 松平康昌(宮內廳式部官長) 1957年(昭和32年)1月4日 (從三位)
- 重光葵(外務大臣) 1957年(昭和32年)1月26日 (正三位)
- 野村行一(東宮大夫) 1957年(昭和32年)7月29日 (正三位)
- 安藤廣太郎(日本學士院會員) 1958年(昭和33年)10月14日 (正三位)
- 岡田忠彦(眾議院議長) 1958年(昭和33年)10月30日 (正三位)
- 金森德次郎(國務大臣) 1959年(昭和34年)6月16日 (從三位)
- 芦田均(内閣總理大臣) 1959年(昭和34年)6月20日 (從三位)
- 河本文一(會計檢查院長) 1960年(昭和35年)2月22日 (正三位)
- 石黑忠篤(農商大臣) 1960年(昭和35年)3月10日 (正三位)
- 林讓治(眾議院議長) 1960年(昭和35年)4月5日 (正五位)
- 河井彌八(參議院議長) 1960年(昭和35年)7月21日 (正三位)
- 豐田貞次郎(外務大臣) 1961年(昭和36年)11月21日 (正三位)
- 熊谷岱藏(東北大學校長) 1962年(昭和37年)2月19日 (正三位)
- 入江誠一郎(人事院總裁) 1962年(昭和37年)7月25日 (正三位)
- 真島利行(大阪帝國大學校長) 1962年(昭和37年)8月19日 (正三位)
- 松野鶴平(參議院議長) 1962年(昭和37年)10月18日 (從三位)
- 勝沼精藏(名古屋大學長) 1963年(昭和38年)11月10日(正三位)
- 大野伴睦(眾議院議長) 1964年(昭和39年)5月29日 (無位)
- 芳澤謙吉(外務大臣) 1965年(昭和40年)1月5日 (正三位)
- 河野一郎(農林大臣) 1965年(昭和40年)7月8日 (從五位)
- 山田三良(日本學士院長、東京大學名譽教授) 1965年(昭和40年)12月17日 (正三位)
- 下條康麿(文部大臣) 1966年(昭和41年)4月25日 (正三位)
- 小原直(法務大臣) 1966年(昭和41年)9月8日 (正三位)
- 清瀨一郎(眾議院議長) 1967年(昭和42年)6月27日 (無位)
- 山梨勝之進(海軍次官、學習院長) 1967年(昭和42年)12月17日 (正三位)
- 正力松太郎(國務大臣) 1969年(昭和44年)10月9日 (正六位)
- 牧野英一(貴族院議員、東京大學名譽教授) 1970年(昭和45年)4月18日 (正三位)
- 藤田尚德(侍從長) 1970年(昭和45年)7月23日 (正三位)
- 川島正次郎(國務大臣) 1970年(昭和45年)11月9日 (正五位)
- 加藤鐐五郎(眾議院議長) 1970年(昭和45年)12月20日 (正五位)
- 松村謙三(文部大臣) 1971年(昭和46年)8月21日 (從三位)
- 佐藤尚武(參議院議長) 1971年(昭和46年)12月18日 (正三位)
- 入江俊郎(最高法院法官) 1972年(昭和47年)7月18日 (正四位)
- 内田祥三(東京帝國大學校長) 1972年(昭和47年)12月14日 (正三位)
- 稻田周一(侍從長) 1973年(昭和48年)2月5日 (正四位)
- 石橋湛山(内閣總理大臣) 1973年(昭和48年)4月25日 (正八位)
- 益谷秀次(眾議院議長) 1973年(昭和48年)8月18日 (從五位)
- 我妻榮(貴族院議員、東京大學名譽教授) 1973年(昭和48年)10月21日 (正四位)
- 愛知揆一(大藏大臣) 1973年(昭和48年)11月23日
- 南原繁(日本學士院長、東京帝國大學校長) 1974年(昭和49年)5月19日 (從三位)
- 廣瀨久忠(厚生大臣) 1974年(昭和49年)5月22日(正三位)
- 佐藤達夫(人事院總裁) 1974年(昭和49年)9月12日
- 霜山精一(大審院長) 1975年(昭和50年)3月12日 (正三位)
- 八木秀次(參議院議員、大阪帝國大學校長) 1976年(昭和51年)1月19日 (正三位)
- 重宗雄三(參議院議長) 1976年(昭和51年)3月13日 (無位)
- 宮澤俊義(貴族院議員、立教大學法學部長) 1976年(昭和51年)9月4日 (從四位)
- 鳥養利三郎(京都帝國大學校長) 1976年(昭和51年)9月24日 (從三位)
- 水田三喜男(大藏大臣) 1976年(昭和51年)12月22日 (無位)
- 正田建次郎(大阪大學校長) 1977年(昭和52年)3月20日 (正五位)* 片山哲(内閣總理大臣) 1978年(昭和53年)5月30日 (無位)
- 保利茂(眾議院議長) 1979年(昭和54年)3月4日 (從五位)
- 船田中(眾議院議長) 1979年(昭和54年)4月12日 (正五位)
- 石田和外(最高法院院長) 1979年(昭和54年)5月9日 (從五位)
- 朝永振一郎(日本學術會議會長) 1979年(昭和54年)7月8日 (正六位)
- 椎名悅三郎(外務大臣) 1979年(昭和54年)9月30日 (正四位)
- 星島二郎(眾議院議長) 1980年(昭和55年)1月3日 (正五位)
- 天野貞祐(文部大臣) 1980年(昭和55年)3月6日 (從三位)
- 中山伊知郎(一橋大學校長) 1980年(昭和55年)4月9日 (從四位)
- 後藤文夫(内務大臣) 1980年(昭和55年)5月13日 (正三位)
- 前尾繁三郎(眾議院議長) 1981年(昭和56年)7月23日 (正五位)
- 湯川秀樹(京都大學名譽教授) 1981年(昭和56年)9月8日 (從五位)
- 石井光次郎(眾議院議長) 1981年(昭和56年)9月20日 (正六位)
- 田中二郎(最高法院法官) 1982年(昭和57年)1月16日 (正五位)
- 高橋誠一郎(文部大臣、日本藝術院長) 1982年(昭和57年)2月9日 (無位)
- 青木一男(大藏大臣) 1982年(昭和57年)6月25日 (正三位)
- 東畑精一(東京大學名譽教授) 1983年(昭和58年)5月6日 (從四位)
- 河野謙三(參議院議長) 1983年(昭和58年)10月16日 (無位)
- 森戶辰男(文部大臣、廣島大學校長) 1984年(昭和59年)5月28日 (無位)
- 橫田正俊(最高法院院長) 1984年(昭和59年)7月1日(從四位)
- 中村梅吉(眾議院議長) 1984年(昭和59年)8月4日 (正五位)
- 牛場信彥(國務大臣) 1984年(昭和59年)12月31日 (從五位)
- 三谷隆信(侍從長) 1985年(昭和50年)1月13日(從三位)
- 藤山愛一郎(外務大臣) 1985年(昭和60年)2月22日 (無位)
- 入江相政(侍從長) 1985年(昭和60年)9月29日 (從五位)
- 安井謙(參議院議長) 1986年(昭和61年)3月10日 (無位)
- 村上朝一(最高法院院長) 1987年(昭和62年)2月13日(從五位)
- 西村英一(建設大臣) 1987年(昭和62年)9月15日 (正五位)
- 福永健司(眾議院議長) 1988年(昭和63年)5月31日 (無位)
- 土光敏夫(經濟團體聯合會會長) 1988年(昭和63年)8月4日 (無位)
- 茅誠司(東京大學校長) 1988年(昭和63年)11月19日 (從四位)
- 東久邇稔彥(舊皇族、内閣總理大臣) 1990年(平成2年)1月20日 (無位)
- 德永正利(參議院議長) 1990年(平成2年)9月23日 (正八位)
- 宇佐美毅(宮内廳長官) 1991年(平成3年)1月19日 (正五位)
- 安倍晉太郎(外務大臣) 1991年(平成3年)5月15日 (無位)
- 橫田喜三郎(最高法院院長) 1993年(平成5年)2月17日 (從四位)
- 服部高顯(最高法院院長) 1993年(平成5年)3月24日 (從五位)
- 灘尾弘吉(眾議院議長) 1994年(平成6年)1月22日 (從四位)
- 岡原昌男(最高法院院長) 1994年(平成6年)7月14日(從五位)
- 下田武三(特命全權大使、最高法院法官) 1995年(平成7年)1月22日 (從五位)
- 渡邊美智雄(外務大臣) 1995年(平成7年)9月15日 (無位)
- 德川義寬(侍從長) 1996年(平成8年)2月2日 (正五位)
- 高辻正己(最高法院法官、法務大臣) 1997年(平成9年)5月20日 (從五位)
- 福田一(眾議院議長) 1997年(平成9年)9月2日 (無位)
- 福井謙一(日本學術振興會會長) 1998年(平成10年)1月9日 (從六位)
- 宇野宗佑(内閣總理大臣) 1998年(平成10年)5月19日
- 原文兵衛(參議院議長) 1999年(平成11年)9月7日 (正六位)
- 二階堂進(國務大臣) 2000年(平成12年)2月3日
- 伊藤宗一郎(眾議院議長) 2001年(平成13年)9月4日 (正八位)
- 寺田治郎(最高法院院長) 2002年(平成14年)3月17日 (從七位)
- 櫻內義雄(眾議院議長) 2003年(平成15年)7月5日 (無位)
- 坂田道太(眾議院議長) 2004年(平成16年)1月13日 (無位)
- 原健三郎(眾議院議長) 2004年(平成16年)11月6日 (無位)
- 矢口洪一(最高法院院長) 2006年(平成18年)7月25日 (正七位)
- 井上裕(參議院議長) 2008年(平成20年)6月22日
參見
- 從二品:東亞其他地區的相等品秩
外部連結
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