新見藩
沿革
元祿10年(1697年)、因為宗家美作津山藩森家廢藩,親族中的關長治被移封至備中新見,初代藩主關長治選擇新見作為陣屋,整備城下町,並開闢牛市,促進商業活動。新見藩領有阿賀郡・哲多郡・小田郡・浅口郡・後月郡5個郡内,知行達1萬8千石。
第3代藩主政富時推動財政改革,並且投注資源於教育上,建立藩校「思誠館」,對庶民進行學問獎勵,補助百姓學資。
第5代藩主長誠聘請學者丸川松陰進入思誠館講學,長誠也給松陰參與藩政,推動藩政的改革,丸川松陰撰寫了藩政指南書『型典』,成為日後藩政推動的手本。
安政4年(1857年),因為藩政財務困難,所以推動鐵、和紙的專賣。
在明治4年(1871年)廢藩置縣後,一度設為新見縣,後來又併入岡山縣中,於1884年(明治17年)關家被列為子爵。
歷任藩主
- 関長治(ながはる)〔従五位下・備前守〕
- 関長広(ながひろ)〔従五位下・但馬守〕
- 関政富(まさとみ)〔従五位下・播磨守〕
- 関政辰(まさとき)
- 関長誠(ながのぶ)〔従五位下・備前守〕
- 関長輝(ながてる)〔従五位下・但馬守 隠居後、備前守〕
- 関成煥(しげあきら)〔従五位下・大蔵少輔 隠居後、備前守〕
- 関長道(ながみち)〔従五位下・備前守〕
- 関長克(ながかつ)〔従五位下・備前守〕
參考資料
相关条目
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