河田烈
河田烈(1883年9月24日-1963年9月27日),日本財政官僚,曾任大藏大臣。
生平
出生於東京府,1934年任岡田内閣的内閣書記官長、同年被敕選為貴族院議員。1940年(昭和15年)擔任第2次近衛内閣之大藏大臣。
二戰期間未參政、1941年(昭和16年)任東亞海運社長、1944年(昭和19年)任台灣拓殖社長、1945年(昭和20年)就任大成火灾海上保险株式会社社長、戰後被公職追放。
追放解除後的1952年(昭和27年)來到台灣,代表日本政府與中華民國簽署中日和約。
榮譽
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[1]
出典
- 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
参考・関連文献
- 『CD現代日本人名録 物故者編』1901-2000」
- 『河田烈自叙伝』「河田烈自叙伝」刊行会、1965年。
官衔 | ||
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前任: 櫻内幸雄 |
大藏大臣 第42代:1940年 - 1941年 |
繼任: 小倉正恒 |
前任: 小林一三 |
商工大臣 (臨時代理)1940年 |
繼任: 豊田貞次郎 |
前任: 堀切善次郎 |
内閣書記官長 第34代:1934年 |
繼任: 吉田茂 |
前任: 黒田英雄 |
大蔵次官 1929年 - 1931年 |
繼任: 黒田英雄 |
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