陆军省
沿革
1872年(明治5年)2月,陸軍省从兵部省独立出来,与海軍省一同被单独設置。
1945年(昭和20年)12月1日陸軍省改組为第一復員省(《第一復員省官制》,昭和20年11月30日勅令第675号),1946年(昭和21年)6月14日与旧海軍省改组而成的第二復員省合并为復員厅,1947年(昭和22年)10月被撤销。
旧陸軍省的财产全部被大藏省(现在的财务省)处理,陸軍省资料的一部分被防卫省和厚生劳动省继承。另外,陸軍軍人的兵歷从当時的連隊区司令部转交各都道府县管理。
陸軍卿、陸軍大輔
歴代陸軍卿 | 歴代陸軍卿代理 | 歴代陸軍大輔 | ||||||||||||
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補職日 | 陸軍卿 | 階級 | 出身 | 備考 | 陸軍卿代理 | 階級 | 出身 | 備考 | 陸軍大輔 | 階級 | 出身 | 備考 | ||
1872年(明治5年) | 2月 | 27日 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |||
2月 | 28日 | - | - | - | - | - | - | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | ||||
1873年(明治6年) | 4月 | 18日 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 山縣有朋辞任 | ||
4月 | 29日 | - | - | - | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | ||||
6月 | 8日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | - | - | - | ||||
7月 | 2日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | 西乡从道 | 少将 | 鹿儿島 | ||||
1874年(明治7年) | 2月 | 8日 | - | - | - | - | - | - | 西乡从道 | 少将 | 鹿儿島 | |||
3月 | 31日 | - | - | - | - | - | - | 津田出 | 少将 | 和歌山 | 在任:西乡从道 2名 | |||
4月 | 5日 | - | - | - | 津田出 | 少将 | 和歌山 | 津田出 | 少将 | 和歌山 | 在任:西乡从道 2名 | |||
6月 | 30日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | 津田出 | 少将 | 和歌山 | 在任:西乡从道 2名 | |||
7月 | 8日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | 西乡从道 | 少将 | 鹿儿島 | ||||
1875年(明治8年) | 5月 | 22日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | - | - | - | |||
1876年(明治9年) | 1月 | 8日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | 鳥尾小弥太 | 中将 | 山口 | |||
3月 | 31日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | - | - | - | ||||
1877年(明治10年) | 2月 | 24日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | 西乡从道 | 中将 | 鹿儿島 | - | - | - | |||
11月 | 26日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | - | - | - | ||||
1878年(明治11年) | 9月 | 12日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | (兼)西乡从道 | - | - | - | - | - | - | ||
11月 | 8日 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | - | - | - | ||||
12月 | 24日 | 西乡从道 | 中将 | 鹿儿島 | - | - | - | - | - | - | ||||
1880年(明治13年) | 2月 | 28日 | 大山巖 | 中将 | 鹿儿島 | - | - | - | - | - | - | |||
1883年(明治16年) | 9月 | 6日 | 大山巖 | 中将 | 鹿儿島 | 山縣有朋 | 中将 | 山口 | - | - | - | |||
10月 | 9日 | 大山巖 | 中将 | 鹿儿島 | - | - | - | - | - | - | ||||
1884年(明治17年) | 2月 | 13日 | 大山巖 | 中将 | 鹿儿島 | 西乡从道 | 中将 | 鹿儿島 | - | - | - | |||
1885年(明治18年) | 1月 | 25日 | 大山巖 | 中将 | 鹿儿島 | - | - | - | - | - | - | |||
12月 | 22日 | 内閣官制(内閣職権)により陸軍卿は陸軍大臣に,陸軍大輔は陸軍次官に改称。 |
陸軍大臣
歴代陸軍大臣 | |||||||||||
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成立、補職日 | 内閣 | 代 | 陸相 | 階級 | 兵科 | 陸士 | 陸大 | 出身 | 備考 | ||
1885年(明治18年) | 12月 | 22日 | 第1次伊藤内閣 | 1 | 大山巖 | 中将 | - | - | - | 鹿儿島 | 内閣官制が定められ陸軍省の主任が陸軍卿から陸軍大臣となる。 |
1888年(明治21年) | 4月 | 30日 | 黑田内閣 | 2 | |||||||
1889年(明治22年) | 12月 | 24日 | 第1次山縣内閣 | 3 | |||||||
1891年(明治24年) | 5月 | 6日 | 第1次松方内閣 | 4 | |||||||
17日 | 5 | 高島鞆之助 | 中将 | - | - | - | 鹿儿島 | ||||
1892年(明治25年) | 8月 | 8日 | 第2次伊藤内閣 | 6 | 大山巌 | 大将 | - | - | - | 鹿儿島 | |
1896年(明治29年) | 9月 | 18日 | 第2次松方内閣 | 7 | |||||||
20日 | 8 | 高島鞆之助 | 中将 | - | - | - | 鹿儿島 | 拓相兼任 | |||
1898年(明治31年) | 1月 | 12日 | 第3次伊藤内閣 | 9 | 桂太郎 | 中将 | - | - | - | 山口 | |
6月 | 30日 | 第1次大隈内閣 | 10 | ||||||||
11月 | 8日 | 第2次山縣内閣 | 11 | ||||||||
1900年(明治33年) | 10月 | 19日 | 第4次伊藤内閣 | 12 | |||||||
12月 | 23日 | 13 | 儿玉源太郎 | 中将 | 步兵 | - | - | 山口 | 台湾總督兼任 | ||
1901年(明治34年) | 6月 | 2日 | 第1次桂内閣 | 14 | |||||||
1902年(明治35年) | 3月 | 27日 | 15 | 寺内正毅 | 中将 | 步兵 | - | - | 山口 | 日露战争を処理する。 | |
1906年(明治39年) | 1月 | 7日 | 第1次西園寺内閣 | 16 | |||||||
1908年(明治41年) | 7月 | 14日 | 第2次桂内閣 | 17 | |||||||
1911年(明治44年) | 8月 | 30日 | 第2次西園寺内閣 | 18 | 石本新六 | 中将 | 工兵 | 旧1期 | - | 兵庫 | 薩長出身者以外で初の陸相就任。陸軍士官学校士官生徒出身で初の陸相就任。明治45年4月2日,在職中に死去。 |
1912年(明治45年) | 4月 | 5日 | 19 | 上原勇作 | 中将 | 工兵 | 旧3期 | - | 宮崎 | 二個師団増設問題で単独辞任し西園寺内閣を「毒殺」(当時の表現)する。 | |
1912年(大正元年) | 12月 | 21日 | 第3次桂内閣 | 20 | 木越安綱 | 中将 | 步兵 | 旧1期 | - | 石川 | |
1913年(大正2年) | 2月 | 20日 | 第1次山本内閣 | 21 | |||||||
6月 | 24日 | 22 | 楠瀬幸彦 | 中将 | 砲兵 | 旧3期 | - | 高知 | |||
1914年(大正3年) | 4月 | 16日 | 第2次大隈内閣 | 23 | 岡市之助 | 中将 | 步兵 | 旧4期 | 4期 | 京都 | |
1916年(大正5年) | 3月 | 30日 | 24 | 大島健一 | 中将 | 砲兵 | 旧4期 | - | 岐阜 | ||
10月 | 9日 | 寺内内閣 | 25 | ||||||||
1918年(大正7年) | 9月 | 29日 | 原内閣 | 26 | 田中義一 | 中将 | 步兵 | 旧8期 | 8期 | 山口 | |
1921年(大正10年) | 6月 | 9日 | 27 | 山梨半造 | 中将 | 步兵 | 旧8期 | 8期 | 神奈川 | 原内閣の途中から入閣する。山梨軍縮を行う。 | |
11月 | 13日 | 高橋内閣 | 28 | ||||||||
1922年(大正11年) | 6月 | 12日 | 加藤友三郎内閣 | 29 | |||||||
1923年(大正12年) | 9月 | 2日 | 第2次山本内閣 | 30 | 田中義一 | 大将 | 步兵 | 旧8期 | 8期 | 山口 | |
1924年(大正13年) | 1月 | 7日 | 清浦内閣 | 31 | 宇垣一成 | 中将 | 步兵 | 1期 | 14期 | 岡山 | 陸軍士官学校士官候補生第1期出身の陸相就任。宇垣軍縮を行う。 |
6月 | 11日 | 加藤高明内閣 | 32 | ||||||||
1926年(大正15年) | 1月 | 30日 | 第1次若槻内閣 | 33 | |||||||
1927年(昭和2年) | 4月 | 20日 | 田中義一内閣 | 34 | 白川義則 | 大将 | 步兵 | 1期 | 12期 | 愛媛 | 山東出兵を処理する。 |
1929年(昭和4年) | 7月 | 2日 | 濱口内閣 | 35 | 宇垣一成 | 大将 | 步兵 | 1期 | 14期 | 岡山 | |
1931年(昭和6年) | 4月 | 14日 | 第2次若槻内閣 | 36 | 南次郎 | 大将 | 騎兵 | 6期 | 17期 | 大分 | 騎兵科出身で唯一の陸相就任。 |
12月 | 13日 | 犬養内閣 | 37 | 荒木貞夫 | 中将 | 步兵 | 9期 | 19期 | 東京 | ||
1932年(昭和7年) | 5月 | 26日 | 齋藤内閣 | 38 | |||||||
1934年(昭和9年) | 1月 | 23日 | 39 | 林銑十郎 | 大将 | 步兵 | 8期 | 17期 | 石川 | ||
7月 | 8日 | 岡田内閣 | 40 | ||||||||
1935年(昭和10年) | 9月 | 5日 | 41 | 川島義之 | 大将 | 步兵 | 10期 | 20期 | 愛媛 | 二、二六事件を処理する。 | |
1936年(昭和11年) | 3月 | 9日 | 廣田内閣 | 42 | 寺内寿一 | 大将 | 步兵 | 11期 | 21期 | 山口 | |
1937年(昭和12年) | 2月 | 2日 | 林内閣 | 43 | 中村孝太郎 | 中将 | 步兵 | 13期 | 21期 | 石川 | 7日間のみの短期陸相。 |
9日 | 44 | 杉山元 | 大将 | 步兵 | 12期 | 22期 | 福岡 | ||||
6月 | 4日 | 第1次近衛内閣 | 45 | ||||||||
1938年(昭和13年) | 6月 | 3日 | 46 | 板垣征四郎 | 中将 | 步兵 | 16期 | 28期 | 岩手 | ||
1939年(昭和14年) | 1月 | 5日 | 平沼内閣 | 47 | |||||||
8月 | 30日 | 阿部内閣 | 48 | 畑俊六 | 大将 | 砲兵 | 12期 | 22期 | 福島 | 「陸軍の総意」として単独辞任し米内内閣を瓦解に追い込む。 | |
1940年(昭和15年) | 1月 | 16日 | 米内内閣 | 49 | |||||||
7月 | 22日 | 第2次近衛内閣 | 50 | 東條英機 | 中将 | 步兵 | 17期 | 27期 | 岩手 | ||
1941年(昭和16年) | 7月 | 18日 | 第3次近衛内閣 | 51 | |||||||
10月 | 18日 | 東條内閣 | 52 | 大将 | 首相兼任。後に参謀総長も兼任。更に陸軍大臣も兼任する。 | ||||||
1944年(昭和19年) | 7月 | 22日 | 小磯内閣 | 53 | 杉山元 | 元帥 | 步兵 | 12期 | 22期 | 福岡 | |
1945年(昭和20年) | 4月 | 7日 | 鈴木貫太郎内閣 | 54 | 阿南惟幾 | 大将 | 步兵 | 18期 | 30期 | 大分 | 終战の大詔が渙発される。昭和20年8月15日未明に自決。 |
8月 | 17日 | 東久邇宮内閣 | 55 | 東久邇宮稔彦王 | 大将 | 步兵 | 20期 | 26期 | 京都 | 首相兼任。終战直後の混乱した陸軍の統制を図るため,首相が陸士同期で信頼の厚い下村定大将を陸相に推すことを決めるが,下村大将が満州にあったため帰国するまでの間を首相自身が兼任した。 | |
23日 | 56 | 下村定 | 大将 | 砲兵 | 20期 | 28期 | 高知 | 陸軍解体を処理する。 | |||
10月 | 9日 | 幣原内閣 | 57 | ||||||||
12月 | 1日 | 陸軍省廃止。同省の残務処理の為,第一復員省設置。 |
陸軍次官
- 事務次官等の一覧#陸軍次官参照
内部部局
軍馬局
軍馬局は1874年(明治7年)3月31日に「軍馬局条例」に基づき設置され,軍馬の調教等の馬政業務を掌った。支部として東京に第一厩,仙台に第二厩を設けた。1886年(明治19年)3月1日を以って廃止され,所掌事務は騎兵局第三課が引き継いだ。
- 歴代軍馬局長
- 白戸隆盛:明治7年3月31日 - 明治8年11月14日
- (兼)黑川通軌:明治8年11月14日 - 明治13年4月29日
- 佐野延勝:明治13年4月29日 - 明治19年3月1日
軍務局
1890年(明治23年)3月1945年设立,
- 1890年(明治23年)3月27日 軍務局創設,第1軍事課、第2軍事課、馬政課、獣医課、砲兵事務課創設,工兵局を工兵事務課として編入
- 1896年(明治29年)5月9日 工兵事務課を工兵課に,砲兵事務課を砲兵課に改称
- 1897年(明治30年)9月3日 兵器課を新設,馬政課を騎兵課に,第1軍事課を軍事課に,第2軍事課を步兵課に改称
- 1900年(明治33年)5月 兵器課廢止
- 1903年(明治36年)5月1日 獣医課廢止
- 1919年(大正8年)4月12日 航空課創設
- 1926年(大正15年)10月1日 兵務課、兵備課、徴募課、防備課創設,航空課、步兵課、工兵課、砲兵課を廃止,騎兵課を馬政課に改称
- 1936年(昭和11年)8月1日 創設軍務課,兵務課、兵備課、防備課、馬政課を兵務局へ移行,徴募課を人事局へ移行
- 1945年(昭和20年)4月28日 依整備局戰備課移行
- 歴代軍務局長
(※氏名前の括弧は夫々(心)は心得,(扱)は事務取扱,(兼)は兼職を表す。)
- (兼)桂太郎:明治23年3月27日(陸軍次官)
- (兼)岡沢精:明治24年6月1日(陸軍次官)
- (兼)儿玉源太郎:明治25年8月23日(陸軍次官)
- (兼)中村雄次郎:明治31年1月14日(陸軍次官)
- 木越安綱:明治33年4月25日
- (兼)中村雄次郎:明治34年2月18日(陸軍総務長官)
- 宇佐川一正:明治35年4月17日
- 長岡外史:明治41年12月28日
- 岡市之助:明治43年6月1日
- 田中義一:明治44年9月1日
- 柴勝三郎:大正元年12月26日
- 山田隆一:大正4年6月4日
- 奈良武次:大正5年3月31日
- 菅野尚一:大正7年12月17日
- 畑英太郎:大正11年2月8日
- 阿部信行:大正15年7月28日
- 杉山元:昭和3年8月10日
- 小磯國昭:昭和5年8月1日
- 山岡重厚:昭和7年2月29日
- 永田鉄山:昭和9年3月5日 - 昭和10年8月12日(在職中に死去。相沢事件参照)
- 今井清:昭和10年8月13日
- 磯谷廉介:昭和11年3月21日
- 後宮淳:昭和12年3月1日
- 町尻量基:昭和12年10月5日
- 中村明人:昭和13年4月14日
- 町尻量基:昭和13年11月21日
- (扱)山脇正隆:昭和13年12月29日(陸軍次官)
- 町尻量基:昭和14年1月31日
- 武藤章:昭和14年9月30日
- 佐藤賢了:昭和17年4月20日
- 真田穣一郎:昭和19年12月14日
- 吉積正雄:昭和20年3月27日
人事局
- 1900年(明治33年)5月20日:人事局創設,设置補任課、恩賞課
- 1936年(昭和11年)8月1日:徴募課新設
- 1938年(昭和13年)7月15日:功績調査部を新設
- 1939年(昭和14年)1月16日:徴募課移交给兵務局管理
- 歴代人事局長
(※階級は就任時のもの,前身の人事課長も掲げた)
- 総務局第四課長
- 沖原光孚:明治19年3月1日
- 総務局人事課長
- 沖原光孚:明治20年6月3日
- 大臣官房人事課長
- 沖原光孚:明治23年3月28日/中佐
- 田村宽一:明治24年6月18日/大佐
- 村山邦彦:明治27年10月25日/中佐
- 真鍋斌:明治28年3月18日/大佐
- 山内長人:明治30年7月12日/大佐
- 新井晴簡:明治30年9月28日/大佐
- 中岡黙:明治31年2月2日/大佐
- 人事局長
- 中岡黙:明治33年5月20日/大佐
- 本乡房太郎:明治38年9月7日/少将
- (扱)石本新六:明治42年9月3日/中将(陸軍次官)
- 山田忠三郎:明治42年11月30日/少将
- 河合操:明治45年4月12日/少将
- 菊池慎之助:大正4年1月25日/少将
- 白川義則:大正5年8月18日/少将
- 竹上常三郎:大正8年1月15日/少将
- 長谷川直敏:大正12年8月6日/少将
- 川島義之:大正15年3月2日/少将
- 古莊幹郎:昭和4年8月1日/少将
- 中村孝太郎:昭和5年12月22日/少将
- 松浦淳六郎:昭和7年2月29日/少将
- 今井清:昭和10年3月15日/中将
- 後宮淳:昭和10年8月13日/少将
- 阿南惟幾:昭和12年3月1日/少将
- 飯沼守:昭和13年11月9日/少将
- 野田謙吾:昭和14年10月2日/少将
- 富永恭次:昭和16年4月10日/少将
- (扱)富永恭次:昭和18年3月11日/中将(陸軍次官)
- 岡田重一:昭和19年7月28日/少将
- 額田坦:昭和20年2月1日/少将
兵器局
在日俄战争艰难获胜的日本由于发现研究和改良兵器的必要性,于明治41年12月设立兵器局。最初仅下辖枪砲課,器材課两个部门。
- 明治41年12月21日:兵器局新设立,下辖枪砲課,器材課
- 大正7年6月6日:设立工政課
- 大正15年9月30日:废除工政課
- 昭和11年8月1日:废除器材課,设立機械課
- 昭和16年4月10日:复立器材課
- 昭和17年10月15日:改组为兵器行政本部
- 歴代兵器局長
整備局
- 大正9年8月10日:作战資材整備会議を設置
- 大正15年10月1日:整備局新設,動員課、統制課を置く
- 昭和11年8月1日:動員課、統制課を廃止,战備課、整備課を置く
- 昭和14年1月16日:整備課を廃止,工政課、資源課、交通課を置く
- 昭和16年4月10日:資源課を燃料課と改める。
- 昭和17年10月9日:工政課を廃止
- 昭和20年4月28日:整備局廃止,業務を軍務局、兵務局、陸軍燃料本部へ移管
- 歴代整備局長
兵務局
- 昭和11年8月1日:兵務局新設,所属課は兵務課、防備課、馬政課。
- 昭和14年1月16日:防備課廃止,兵備課、防衛課新設
- 昭和17年10月15日:獣医課新設
- 昭和20年4月27日:馬政課、防衛課、獣医課廃止
- 昭和20年11月9日:規律課新設
- 歴代兵務局長
※就任階級は那須義雄の大佐で就任した"心得"を除き陸軍少将。
経理局
- 明治5年2月27日:陸軍省創設に際し,会計局が設けられる
- 明治6年3月24日:陸軍省職制が改正され会計事務を掌る第五局が置かれる。
- 明治12年10月10日:陸軍省達乙第72号により第五局が会計局と改められる。
- 明治24年8月16日:会計局を経理局と改める。
- 明治33年5月20日:経理局に主計課、建築課、被服課、糧秣課を置く。
- 明治36年5月1日:糧秣課と被服課を統合し衣糧課を置く。
- 明治36年11月30日:勅令第182号により陸軍監督総監を陸軍主計総監(中将相当官)と改める。
- 大正13年12月20日:監査課を置く。
- 昭和20年4月27日:監査課を廃止する。
- 歴代経理局長
- 日付は就任日,その後の階級は就任時,括弧内は備考
- 氏名前の括弧は夫々(心)は心得,(扱)は事務取扱,(兼)は兼職を表す。
- 会計局長
- 船越衛:明治5年2月27日/陸軍大丞(前職は兵部省会計局長)
- 第五局長
- 津田出:明治6年3月29日/陸軍少将(明治7年7月から陸軍会計監督長を兼ねる。後に貴族院議員)
- 会計局長
- 田中光顕:明治12年10月14日/陸軍会計監督長(後に,宮内大臣、陸軍少将)
- 川崎祐名:明治14年10月31日/陸軍会計監督長
- (心)野田豁通:明治24年4月15日/陸軍一等監督(明治30年4月8日任監督総監,後に男爵、貴族院議員)
- 野田豁通:明治24年6月1日/陸軍監督長
- 経理局長
- 野田豁通:明治24年8月16日/陸軍監督長
- 外松孫太郎:明治34年4月15日/陸軍監督監(明治38年8月29日任陸軍主計総監,後に男爵、貴族院議員)
- 辻村楠造:明治42年8月1日/陸軍主計監(大正2年3月4日任陸軍主計総監)
- 隈徳三:大正3年5月11日/陸軍主計監(大正3年8月8日任陸軍主計総監)
- 田中政明:大正7年7月19日/陸軍主計監(大正7年7月24日任陸軍主計総監)
- 三井清一郎:大正12年10月10日/陸軍主計総監(後に貴族院議員)
- 中村精一:昭和3年12月21日/陸軍主計監
- 小野寺長治郎:昭和6年8月1日/陸軍主計監(後に貴族院議員)
- 平手勘次郎:昭和9年8月1日/陸軍主計総監
- 石川半三郎:昭和12年8月14日/陸軍主計監
- 栗橋保正:昭和16年3月1日/陸軍主計少将(昭和16年8月任陸軍主計中将)
- 森田親三:昭和20年7月5日/陸軍主計中将(昭和20年12月 - 昭和21年6月第一復員省経理局長)
医務局
- 歴代医務局長
歴代医務局長 | ||||||
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補職日 | 職名 | 階級 位階 勲等 功級 | 氏名 | 前職 | 出身 | 経歴 |
明治15年9月25日 | 陸軍軍医本部御用掛 | 陸軍軍医総監 | 松本順 | 静岡县士族 | ||
明治18年5月21日 | 陸軍軍医本部長 | 陸軍軍医総監從五位勲三等 | 橋本綱常 | 福井县士族 | 任陸軍軍医総監と同日に補陸軍軍医本部長。 | |
明治19年3月1日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監從四位勲三等 | 橋本綱常 | 陸軍軍医本部長 | 福井县士族 | 明治23年10月4日に予備役。 |
明治23年10月7日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監正五位勲三等 | 石黑忠悳 | 新潟县 | ||
明治30年9月28日 | 軍医局長 | 陸軍軍医監正五位勲三等 | 石阪惟宽 | 第四師団軍医部長 | 岡山县士族 | |
明治31年8月4日 | 軍医局長 | 陸軍軍医監從五位勲六等功四級 | 小池正直 | 山形县士族 | ||
明治40年11月13日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監正四位勲二等功三級 医学博士文学博士 | 森林太郎 | 島根县士族 | (作家、森鷗外) | |
大正5年4月13日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監從四位勲二等功四級 | 鶴田禎次郎 | 佐賀县士族 | ||
大正12年3月17日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監正五位勲二等功四級 | 山田弘倫 | 陸軍軍医学校長 | 岡山县士族 |
法務局
- 歴代法務局長
- 法官部長
- 法務局長
- (兼)中村雄次郎:明治33年5月20日/少将(陸軍総務長官の兼職)
- (兼)石本新六:明治35年4月17日/少将(陸軍総務長官の兼職)
- 志水小一郎:明治38年12月28日/文官(後に貴族院議員)
- 松本慶次郎:大正10年3月30日/文官
- 中山庸次郎:大正13年2月15日/文官
- 鈴木直太郎:昭和4年12月21日/文官
- 大山文雄:昭和7年12月19日/文官
- 藤井喜一:昭和20年4月1日/法務中将
- 大山文雄:昭和20年11月8日/法務中将(昭和20年12月1日から第一復員省法務局長,昭和21年6月15日より復員厅第一復員局法務調査部長)
外局等
- 陸軍築城部:明治30年9月15日設置。
- 陸軍兵器廠:明治30年9月15日設置。昭和15年4月1日陸軍兵器本部に改編統合。
- 陸軍運輸部:明治37年4月1日設置
- 陸軍航空本部:大正4年1月30日設置の陸軍航空部が前身。大正14年4月28日改編
- 第十课(建筑课)
- 陸軍造兵廠:大正12年4月1日設置。昭和15年4月1日陸軍兵器本部に改編統合。
- 船舶司令部:昭和12年7月設置の第1船舶輸送司令部,昭和15年6月に改称して船舶輸送司令部となったものを昭和17年7月9日改称
- 陸軍兵器本部:陸軍造兵廠等を統合、改編して昭和15年4月1日設置
- 陸軍機甲本部:昭和16年4月10日設置
- 陸軍兵器行政本部:昭和17年10月15日,兵器本部等を改編
- 陸軍燃料本部:昭和19年3月11日設置。
- 陸軍陸運部:昭和20年6月16日設置。
- 軍馬補充部:
- 陸軍恤兵部:長は恤兵監で人事局恩賞課長の兼務。出征兵士への慰問に関する業務。
參考文獻
- 山下政三:《鴎外森林太郎と脚気紛争》,日本評論社,2008年(平成20年).
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