駒込站
駒込站[1](日语:/ Komagome eki */?)是位於日本東京都豐島區駒込二丁目,屬於東日本旅客鐵道(JR東日本)、東京地下鐵的鐵路車站。此站是豐島區最東端車站。
駒込站 | |||
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JR北口站房(2008年1月24日) | |||
日语名称 | |||
– – | |||
车站概览 | |||
位置 | 日本東京都豐島區駒込二丁目 | ||
地理坐标 | 35°44′11″N 139°44′49″E | ||
管辖机构 | 東日本旅客鐵道(JR東日本,詳細資料) 東京地下鐵(詳細資料) | ||
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停靠路線
此站有JR東日本的山手線與東京地下鐵的南北線停靠,是轉乘站。1923年至1971年為止是都電19系統(駒込線・飛鳥山線)的轉乘站。
JR東日本僅停靠環狀線山手線電車。依據特定都區市內制度,本站屬「東京都區內」與「東京山手線內」。車站編號「JY 10」。
東京地下鐵車站編號為「N 14」。
歷史
- 1910年(明治43年)11月15日:日本國鐵駒込站開業,只經營客運業務。
- 1917年(大正6年)6月6日;東京市電駒込線、駒込橋站開業。
- 1922年(大正11年)4月10日:駒込橋站往駒込站方向移動0.1公里。
- 1923年(大正12年)4月12日:市電飛鳥山線開業。駒込站旁開設市電巢鴨車庫駒込分車庫,1939年成為獨立車庫。
- 1945年(昭和20年)4月13日:太平洋戰爭時受到空襲,站房被擊中焚毀。
- 1971年(昭和46年)3月17日:都電19系統(駒込線・飛鳥山線)廢止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:國鐵分割民營化,國鐵站區由JR東日本接手管理。
- 1990年(平成2年)4月21日:JR東日本(東口)引入自動驗票閘門。
- 1991年(平成3年)11月29日:帝都高速度交通營團(營團地下鐵)南北線(本站-赤羽岩淵段)開業。
- 1996年(平成8年)3月26日:營團地下鐵南北線四谷-本站段延線開業。
- 2000年(平成12年):入選關東車站百選(第四回)。
- 2001年(平成13年)11月18日:JR東日本的智能卡系統Suica正式投入服務。
- 2004年(平成16年)4月1日:營團地下鐵民營化,營團站區由東京地下鐵接手經營。
- 2006年(平成18年)12月23日:JR東日本的車站建築改建工程完工,增設了站內商店、電扶梯及電梯。
- 2013年(平成25年)12月14日:綠色窗口結束營業。
- 2015年(平成27年)3月13日:南北線更換發車音樂[2]。
車站結構
JR東日本
JR東日本 駒込站 | |||||||||||
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月台(2019年9月) | |||||||||||
日语名称 | |||||||||||
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车站概览 | |||||||||||
位置 | 日本東京都豐島區駒込二丁目1番1號 | ||||||||||
地理坐标 | 35°44′11″N 139°44′49″E | ||||||||||
1面2線 | |||||||||||
车站构造 | |||||||||||
站体类型 | 地面車站 | ||||||||||
其他 | |||||||||||
电报码 | コメ | ||||||||||
历史 | |||||||||||
启用日期 | 1910年(明治43年)11月15日 | ||||||||||
上車人次 統計年度 | 平均每日48,964[3]人次(不含下車乘客) 2017年 | ||||||||||
邻近车站 | |||||||||||
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备注 | |||||||||||
設有綠色窗口 東京山手線內、東京都區內車站 |
JR站區位於地面,但由於原地形傾斜,因此開挖西側並填平東側以建造平面月台。本站月台採島式月台1面2線配置,月台上設置可動式月台門。山手線月台の最東端屬北區中里。
剪票口共有2處。西側(池袋方向)剪票口有階梯、電梯與電扶梯通往山手線月台,站外的南北通道可通往北口與南口。東側(田端站方向)剪票口有階梯通往月台,剪票口外為東口。北口過去曾設有綠色窗口,現已撤除,僅設多功能售票機。
站內月台旁斜坡以杜鵑花植栽聞名,並藉此選入關東車站百選。1939年時移植一部份到常磐線的夜之森車站[4]。
山手線唯一的平交道第二中里平交道在車站田端側約400公尺處。
月台配置
月台 | 路線 | 方向 | 目的地 |
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1 | 山手線 | 外環 | 上野、東京、品川方向 |
2 | 內環 | 池袋、新宿、澀谷方向 |
(來源:JR東日本:車站構內圖)
- 北口閘口(2019年9月)
- 東口閘口(2019年9月)
車站設施
- 南口
- 駒込METS飯店
- 「駒込METS飯店」大樓2樓是Denny's,1樓是NEWDAYS。
- 駒込METS飯店
- 北口
- KIOSK(商店)
- 自動售票機、指定席售票機
- 自動驗票閘門
- 北口付費區
- BOOK EXPRESS(書店)
- LITTLE MERMAID(麵包、咖啡)
- 多功能側廁所
- 電梯、電扶梯
- 東口
- KIOSK
- 自動售票機
- 自動驗票閘門
- 東口付費區
- 廁所
東京地下鐵
東京地下鐵 駒込站 | |||||||||||
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出入口(2015年6月13日) | |||||||||||
日语名称 | |||||||||||
– – | |||||||||||
车站概览 | |||||||||||
位置 | 日本東京都豐島區駒込二丁目1番40號 | ||||||||||
地理坐标 | 35°44′11″N 139°44′49″E | ||||||||||
1面2線 | |||||||||||
车站构造 | |||||||||||
站体类型 | 地下車站 | ||||||||||
其他 | |||||||||||
电报码 | コマ | ||||||||||
历史 | |||||||||||
启用日期 | 1991年(平成3年)11月29日 | ||||||||||
上下車人次 統計年度 | 平均每日40,799[6]人次 2017年 | ||||||||||
邻近车站 | |||||||||||
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東京地下鐵站區是一地下車站,月台採島式月台1面2線設計,月台安裝了月台幕門。目黑側(月台南端)設有折返用轉轍器[7]。日吉發與赤羽岩淵發的末班車終停本站。僅B線(2號線,目黑方向)有始發列車。
月台配置
月台 | 路線 | 目的地 | 備註 |
---|---|---|---|
1 | 南北線 | 王子、赤羽岩淵、浦和美園方向 | 赤羽岩淵站直通 埼玉高速鐵道線 (往浦和美園方向列車) |
2 | 白金高輪、目黑、日吉方向 | 目黑站直通 東急目黑線 |
(來源:東京地下鐵:構內圖)
車站設施
- 南口
- Kokumin Drug
- 剪票口(2015年6月13日)
- 月台(2015年6月13日)
使用情況
- JR東日本 - 2019年度1日平均上車人次為48,861人[使用人次 1]。
- 該公司車站中次於稻毛站,名列第98位。
- 東京地下鐵 - 2017年度1日平均上下車人次為40,799人[使用人次 2]。
- 東京地下鐵全部130個車站當中排名第92位。南北線除共同使用站之外的使用人數最低轉乘站。
近年1日平均上下車人次變化如下表(JR除外)。
年度 | 東京地下鐵 | |
---|---|---|
1日平均 上下車人次 |
增長率 | |
2003年(平成15年) | 27,858 | 3.7% |
2004年(平成16年) | 28,988 | 4.1% |
2005年(平成17年) | 30,252 | 4.4% |
2006年(平成18年) | 31,279 | 3.4% |
2007年(平成19年) | 33,572 | 7.3% |
2008年(平成20年) | 34,487 | 2.7% |
2009年(平成21年) | 34,171 | −0.9% |
2010年(平成22年) | 34,797 | 1.8% |
2011年(平成23年) | 34,403 | −1.1% |
2012年(平成24年) | 35,768 | 4.0% |
2013年(平成25年) | 36,707 | 2.6% |
2014年(平成26年) | 37,443 | 2.0% |
2015年(平成27年) | 38,532 | 2.9% |
2016年(平成28年) | 39,584 | 2.7% |
2017年(平成29年) | 40,799 | 3.1% |
2018年(平成30年) | 41,842 | 2.6% |
各年度1日平均上車人次(1910年代-1930年代)
各年度1日平均上車人次如下表。
年度 | 國鐵 | 來源 |
---|---|---|
1910年(明治43年) | [備考 1] | |
1911年(明治44年) | 641 | [東京府統計 1] |
1912年(大正元年) | 773 | [東京府統計 2] |
1913年(大正 | 2年)696 | [東京府統計 3] |
1914年(大正 | 3年)812 | [東京府統計 4] |
1915年(大正 | 4年)1,071 | [東京府統計 5] |
1916年(大正 | 5年)1,300 | [東京府統計 6] |
1919年(大正 | 8年)1,963 | [東京府統計 7] |
1920年(大正 | 9年)2,669 | [東京府統計 8] |
1922年(大正11年) | 4,026 | [東京府統計 9] |
1923年(大正12年) | 6,413 | [東京府統計 10] |
1924年(大正13年) | 6,666 | [東京府統計 11] |
1925年(大正14年) | 8,264 | [東京府統計 12] |
1926年(昭和元年) | 11,089 | [東京府統計 13] |
1927年(昭和 | 2年)12,584 | [東京府統計 14] |
1928年(昭和 | 3年)12,741 | [東京府統計 15] |
1929年(昭和 | 4年)12,578 | [東京府統計 16] |
1930年(昭和 | 5年)12,021 | [東京府統計 17] |
1931年(昭和 | 6年)11,078 | [東京府統計 18] |
1932年(昭和 | 7年)11,049 | [東京府統計 19] |
1933年(昭和 | 8年)10,671 | [東京府統計 20] |
1934年(昭和 | 9年)10,825 | [東京府統計 21] |
1935年(昭和10年) | 11,145 | [東京府統計 22] |
各年度1日平均上車人次(1953年-2000年)
年度 | 國鐵 / JR東日本 |
營團 | 來源 |
---|---|---|---|
1953年(昭和28年) | 20,184 | 未開業 | [東京都統計 1] |
1954年(昭和29年) | 21,675 | [東京都統計 2] | |
1955年(昭和30年) | 23,764 | [東京都統計 3] | |
1956年(昭和31年) | 26,499 | [東京都統計 4] | |
1957年(昭和32年) | 29,247 | [東京都統計 5] | |
1958年(昭和33年) | 32,177 | [東京都統計 6] | |
1959年(昭和34年) | 35,078 | [東京都統計 7] | |
1960年(昭和35年) | 38,003 | [東京都統計 8] | |
1961年(昭和36年) | 39,364 | [東京都統計 9] | |
1962年(昭和37年) | 41,902 | [東京都統計 10] | |
1963年(昭和38年) | 44,219 | [東京都統計 11] | |
1964年(昭和39年) | 46,694 | [東京都統計 12] | |
1965年(昭和40年) | 47,570 | [東京都統計 13] | |
1966年(昭和41年) | 48,127 | [東京都統計 14] | |
1967年(昭和42年) | 49,020 | [東京都統計 15] | |
1968年(昭和43年) | 49,364 | [東京都統計 16] | |
1969年(昭和44年) | 45,503 | [東京都統計 17] | |
1970年(昭和45年) | 45,677 | [東京都統計 18] | |
1971年(昭和46年) | 45,959 | [東京都統計 19] | |
1972年(昭和47年) | 46,216 | [東京都統計 20] | |
1973年(昭和48年) | 44,863 | [東京都統計 21] | |
1974年(昭和49年) | 44,575 | [東京都統計 22] | |
1975年(昭和50年) | 42,667 | [東京都統計 23] | |
1976年(昭和51年) | 42,153 | [東京都統計 24] | |
1977年(昭和52年) | 41,197 | [東京都統計 25] | |
1978年(昭和53年) | 40,027 | [東京都統計 26] | |
1979年(昭和54年) | 38,516 | [東京都統計 27] | |
1980年(昭和55年) | 37,268 | [東京都統計 28] | |
1981年(昭和56年) | 36,953 | [東京都統計 29] | |
1982年(昭和57年) | 36,773 | [東京都統計 30] | |
1983年(昭和58年) | 36,678 | [東京都統計 31] | |
1984年(昭和59年) | 37,266 | [東京都統計 32] | |
1985年(昭和60年) | 37,307 | [東京都統計 33] | |
1986年(昭和61年) | 38,471 | [東京都統計 34] | |
1987年(昭和62年) | 38,126 | [東京都統計 35] | |
1988年(昭和63年) | 41,337 | [東京都統計 36] | |
1989年(平成元年) | 41,356 | [東京都統計 37] | |
1990年(平成 | 2年)41,688 | [東京都統計 38] | |
1991年(平成 | 3年)43,975 | [備考 2]1,435 | [東京都統計 39] |
1992年(平成 | 4年)47,671 | 6,808 | [東京都統計 40] |
1993年(平成 | 5年)49,370 | 7,723 | [東京都統計 41] |
1994年(平成 | 6年)50,008 | 8,121 | [東京都統計 42] |
1995年(平成 | 7年)49,156 | 8,317 | [東京都統計 43] |
1996年(平成 | 8年)45,803 | 10,060 | [東京都統計 44] |
1997年(平成 | 9年)43,764 | 10,279 | [東京都統計 45] |
1998年(平成10年) | 43,257 | 10,641 | [東京都統計 46] |
1999年(平成11年) | [JR 1]42,715 | 10,574 | [東京都統計 47] |
2000年(平成12年) | [JR 2]42,827 | 10,844 | [東京都統計 48] |
各年度1日平均上車人次(2001年以後)
近年1日平均上車人次推移如下表。
年度 | JR東日本 | 營團 / 東京地下鐵 | 來源 |
---|---|---|---|
2001年(平成13年) | [JR 3]43,848 | 12,951 | [東京都統計 49] |
2002年(平成14年) | [JR 4]44,351 | 13,392 | [東京都統計 50] |
2003年(平成15年) | [JR 5]44,482 | 13,918 | [東京都統計 51] |
2004年(平成16年) | [JR 6]43,957 | 14,282 | [東京都統計 52] |
2005年(平成17年) | [JR 7]44,524 | 14,841 | [東京都統計 53] |
2006年(平成18年) | [JR 8]45,118 | 15,414 | [東京都統計 54] |
2007年(平成19年) | [JR 9]46,582 | 16,647 | [東京都統計 55] |
2008年(平成20年) | [JR 10]46,777 | 16,956 | [東京都統計 56] |
2009年(平成21年) | [JR 11]46,525 | 16,923 | [東京都統計 57] |
2010年(平成22年) | [JR 12]46,555 | 17,268 | [東京都統計 58] |
2011年(平成23年) | [JR 13]46,005 | 17,118 | [東京都統計 59] |
2012年(平成24年) | [JR 14]46,988 | 17,748 | [東京都統計 60] |
2013年(平成25年) | [JR 15]47,490 | 18,211 | [東京都統計 61] |
2014年(平成26年) | [JR 16]47,231 | 18,608 | [東京都統計 62] |
2015年(平成27年) | [JR 17]46,998 | 19,131 | [東京都統計 63] |
2016年(平成28年) | [JR 18]48,094 | 19,638 | [東京都統計 64] |
2017年(平成29年) | [JR 19]48,964 | 20,236 | [東京都統計 65] |
2018年(平成30年) | [JR 20]49,541 | 20,740 | [東京都統計 66] |
2019年(令和元年) | [JR 21]48,861 |
- 備考
- 1910年11月15日開業。
- 1991年11月29日開業。開業日起至翌年3月31日為止合計124日間的資料。
車站周邊
本站周邊是位於區界的住宅區,多教育機關與庭園。
北口側
南口側
周邊被稱作大和鄉。
東口側
沿著谷田川暗渠,北方有駒込皐月通(さつき通り)、霜降銀座(しもふり銀座)、染井銀座、南方有Azalea通(アゼリア通り)、田端銀座與多個商店街。
- 中里郵便局
- 日枝神社
- 學校法人聖學院本部
- 聖學院中學校、高等學校
- 女子聖學院中學校、高等學校
參考資料
- 「込」在中文中發音同「入」字,粵語則讀作「於」。
- 南北線の発車メロディをリニューアル!PDF - 東京地下鉄 ニュースリリース 2015年3月2日
- . JR東日本.
- 曽根田和久. . 毎日新聞. 2017-01-27 [2017-01-30].
- 日本経済新聞2005年3月17日付け夕刊、23面
- . 東京メトロ.
- 在延伸四谷以前,赤羽岩淵發出的電車利用此轉轍器轉線折返赤羽岩淵方向。
- JR、地下鐵1日平均使用人數
- 各駅の乗車人員 的存檔,存档日期2001-05-06. - JR東日本
- 各駅の乗降人員ランキング - 東京メトロ
- JR東日本1999年度以後上車人次
- 各駅の乗車人員(1999年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2018年度) - JR東日本
- 各駅の乗車人員(2019年度) - JR東日本
- JR、地下鐵統計資料
- 東京府統計書
- 東京都統計年鑑
- 昭和28年PDF - 13ページ
- 昭和29年PDF - 10ページ
- 昭和30年PDF - 10ページ
- 昭和31年PDF - 10ページ
- 昭和32年PDF - 10ページ
- 昭和33年PDF - 10ページ
- 昭和34年
- 昭和35年
- 昭和36年
- 昭和37年
- 昭和38年
- 昭和39年
- 昭和40年
- 昭和41年
- 昭和42年
- 昭和43年
- 昭和44年
- 昭和45年
- 昭和46年
- 昭和47年
- 昭和48年
- 昭和49年
- 昭和50年
- 昭和51年
- 昭和52年
- 昭和53年
- 昭和54年
- 昭和55年
- 昭和56年
- 昭和57年
- 昭和58年
- 昭和59年
- 昭和60年
- 昭和61年
- 昭和62年
- 昭和63年
- 平成元年
- 平成2年
- 平成3年
- 平成4年
- 平成5年
- 平成6年
- 平成7年
- 平成8年
- 平成9年
- 平成10年PDF
- 平成11年PDF
- 平成12年
- 平成13年
- 平成14年
- 平成15年
- 平成16年
- 平成17年
- 平成18年
- 平成19年
- 平成20年
- 平成21年
- 平成22年
- 平成23年
- 平成24年
- 平成25年
- 平成26年
- 平成27年
- 平成28年
- 平成29年
- 平成30年
外部連結
- 車站資訊(駒込):東日本旅客鐵道
- 駒込/N14 | 路線・車站資訊 | 東京地下鐵